Hachinosu Records

自主音楽レーベル。蜂ノ巣音盤。所属アーティストが色々な話をします。

正しさの話

ワッサー全国のアホ共。Picaroです。
Picaroというのは僕のMCネーム、つまりラッパーとして活動する際に用いる名義で、コロコロ名義を変えてきた僕が一番長く名乗っていて、それだけ思い入れのある名前であります。
これを読んでくれる可能性のある人達は多分僕のことを「絶望」「ぜっちゃん」「アラジン」として認識している方が多いと思いますが、絶望関連の名義で曲を作ったことは二度ほどしかないというのはあまりにも有名な話ですね。



前置き長くね?
既に自分が何を書きたかったのか忘れかけています。正しさの話だったと思います。ぼくはユーモア人間ではないので特にボケも思いつきませんし、書きたかった内容が忘却の彼方へ消えない内に本題に移ります。


正しさの話です。
世界において絶対的に正しい事物などほぼ存在しておらず、全ての正誤は各人の主観に基づいて判断されるものです。
明らかな非人道的行為でさえ正しい場合はありますし、僕のような社会不適合者でありアナキストであり倫理観崩壊うんこ生産マシーンの視点で言わせてもらえば、一般に正しいとされていることなど間違いだらけでうんこ以下のクソカスであります。

そんな世界において、僕は20余年の歳月をかけて“絶対的に正しいと言えること”を見つけまして、まあこれでさえ価値観の違う人が聞けば「は?」の一言で片付けられてしまうのですが。悲しいもので。

その絶対的に正しいことってのは、考えること。
考えた末にどうなるかではなくて、考えるという行為そのものは絶対に正しいのだと思うわけです。

既に冗長に過ぎる駄文をほろ酔いで書き連ねているだけのゴミブログなので詳しくは割愛しますが、考えることは正しいことです。


こんな纏まってもいない記事を書こうと思ったきっかけというのが、人と関わっていて、SNSを見ていて、思考停止している人間が多いなぁと感じたんですね。

ぼくはこれまでの人生で、いわゆる普通の人生を送っている人とは違う経験をしてきました。
普通と違うから偉いわけではないし、逆にぼくは普通の経験が乏しいのでどっちが良い人生なのかは知らん。俺はコッチで良かったと思ってる。

要するにラッパーとして、アンダーグラウンドの人間として生きてきたわけですが、近年「オタク」と呼ばれる人種と関わる機会が増え、僕自身その「オタク」と同じような行動をとるようになってきました。
僕はオタクを否定しないし、かっこいいと感じることだってある。ひとつの生き方として、確立された考えに基づいて行動していることにリスペクトを抱いてる。
しかし確実に、ラッパーである俺とオタクである彼らの間には決して交わることのない価値観がある。

俺がオタクと同じような行動をとっていてもそれは“オタクみたいなことをしてるラッパー”であるし、仮にオタクがラップを始めてもそれは“ラップをしているオタク”つまりはオタクラッパーであるし、根本的に生き方が違うのだ。
俺はラッパーとして生きているし、彼らはオタクとして生きている。
ソコを勘違いすんなよって話をしたかっただけです。

俺をオタクとして括るの、オタクにも失礼だぜ。
オタク相手に商売してるお前らより俺の方がオタクにリスペクト払ってるってどうよ?
もっと考えなよ。アーイ?

そういう話。